はじめての挫折から学んだ自分を知る大切さ

中野太一(なかの・たいち)。福岡県出身。小学校2年生から大阪に定住。大学では建築学を学び、林業と木造建築に興味を持ち、更に実践的な技術を学ぶためフィンランドに留学に行く。その後帰国し、友人の誘いでヴィーガン向けのレシピサイトV-cookを運用するNPO法人日本ヴィーガンコミュニティでエンジニアとして従事する。

–学生時代はどういった学生だったんですか。

遡ると中学の時代はただ自由を求めていました。

というのもその頃から塾に通いだして、そこの塾長の授業と大学時代の話が面白くて、そんな大学生活が送りたいと思っていました。そしてその人が通っていたのが京都大学だったので、頭がいい大学に入ると自由が手に入るのかと思い、漠然と京都大学を目指し始めました。

当時通っていた塾の塾長のわかりやすい授業と京都大学時代の話が面白くて、そんな大学生活が送りたいと思っていました。京都大学に入ると自由が手に入るのということを知って、漠然と京都大学を目指し始めました。

その後、高校は良い高校に入ることができたのですが、当時はまだ性格がむき出しで高校生活は上手くいかなかったです。自分がやりたいことは完遂するけど、バンドをしていてチームとの意見の違いで解散したり、他の部員や先輩と喧嘩をしたりしていました。

–そんな過去があったんですね。

はい、大学受験も京都大学一本で受験して落ちて、翌年もダメでした。

それまでは何が何でも京都大学に行くんだという気持ちでしたが2年も浪人をしたので、このままだとダメだと気が付いて大学を変えることにしました。

そしてモノづくりが好きで建築を学びたいと思っていたので、建築学部がある近畿大学に行こうと思いました。

–なるほど。大学生活はどうでしたか。

大学1年生の時に東京の建築事務所にインターンシップに行って、東京の建築の展覧会とか美術館に行きまくっていました。その中に世界の大学教育を紹介する展覧会があって、僕が参加したフィンランドのWood Programが紹介されていました。そのプログラムは自分たちで設計して実際に建てる所までやるという内容でした。日本の教育は図面を書いて模型を作ってお終いというものが多い中、実走できるのはとても魅力的でした。

木材という素材にも興味があったので、参加は即決しました。そこから英語フィンランド語木造の勉強を始めて、同時に留学の準備もしました。

–そうなんですね!フィンランドでの留学はどうでしたか?

現地に行って最初の3週間は語学学校でフィンランド語を学びました。その後、建築の授業が始まりました。

プロジェクトは20人程のメンバーで構成されていて、初日に学生が自分だけだと知って驚きました。

木造に対する自信はありましたが、周りは建築の専門家だらけで何言ってるかわからないし、何をやっているのか、何のソフトを使っているのかもわかなくて、正直とんでもないところに来てしまったと思いました。

–不安になりますよね。どう乗り切ったんですか?

乗り切れなかったですね。

最初に、3本の柱を組み合わせて上からの圧力に強い構造を設計するという課題が出て、まずはアイデアを持ってきてくれという指示がでました。

帰ってPinterestで関連する画像を検索して、選んだものを次の日に持っていきました。そしたらチームメイトは自分で考えた設計を3Dモデルで持ってきていました。

そこで「こういうことをするのか!」と気づきましたが、チームメイトのアメリカ人に「いや、お前、Pinterestじゃなくて設計したものを持ってこいよ」と言われたので、そこからPinterestが嫌いになりました(笑)

–嫌いになりますね(笑)その場面が想像できてこっちも震えます。

でも全部チームのプロジェクトなので何かをしないといけないんですけど、それもできなくて心が折れてしまいました。

次第にコミュニケーションが難しくなって大学にも行かなくなりました。ひどい時だと週に1回しか家から出ないという時もありました。

–言葉と技術で壁があると想像以上に大変ですよね。その後はどうしましたか。

その後、大学の教授と面談をしたのですが「20人しか取れないプロジェクトで他を落として君を取ったから貢献してくれないと困るよ」と言われて、さらにプレッシャーでした。

冬休みに入ると、日本の友達が数人フィンランドに遊びに来てくれました。その中の一人が今働いているNPOの代表です。

何の利害もない友人に久しぶりに会って、フィンランドの観光案内をしたりとか、いっぱい話したりして本当に楽しかったです。

気持ちがリフレッシュされ、冬休み明けに大学に戻りました。

それから1週間が経ったときにプロジェクトの担当教授から「今更来たんだ」というニュアンスの言葉をかけられました。それがきっかけでまた大学に行かなくなりました。

–久しぶりでかなり緊張して登校していますもんね。

はい。そのころから大学に行くか日本に戻るかを考えていました。

高校の頃まで自分って挫折したことがないと思っていて、大学受験でも近畿大学に来たのは自分の中でポジティブに捉えていたので、その時に始めて完全な挫折を経験しました。そして4月に日本に帰ることにしました。

–そうなんですね。帰ってきてからは何をしていましたか?

最初はVRに没頭していました。でもVRの技術革新って早すぎて追いつけなくて、リアルな仲間もいなかったのでモチベーションが保てなくなりました。

大学の授業には翌年の4月から戻ったのですが、久しぶりに日本の授業を受けると更につまらなくなってるように感じました。

ゴールデンウィークのタイミングで、大学を辞めるか、(2年と200万円を消費して)卒業するか迷っていました。

ちょうどそんな時に今所属しているNPOの代表から「うちでエンジニアしないか」と誘ってもらったので、大学を辞めてNPOに入ることを決めました。それが今年の5月頃です。

–そこではどういったことをしていますか?

最初の2カ月間でプログラミングを勉強しました。

それからV-cookというヴィーガンの人向けの料理レシピサイトを開発しています。ヴィーガンていうのは動物性の食品を食べない人あるいはそういう食生活のことを言います。

今の代表がヴィーガンで、ヴィーガンになった直後に何を食べていいのかわからず野菜とポン酢生活をしていたところから始まりました。

–なるほど。どういった働き方をしていますか?

仕事はフルリモートでやっています。

リモートでは自己管理が大事ですが、最近どうすればモチベーションを保てるのかがわかってきました。アプリなどで自分の食生活や行動を徹底的に記録するんです。

すると、今の生活の問題点が明らかにされて、改善がしようという気持ちになります。最近は、記録を通して自分を知り改善することで、気分が好調になってきました。

–今後のビジョンなどを教えてもらえますか。

ビジョンとしては食生活の選択肢としてヴィーガンがあればいいなと思います。

直近では、オリンピックがきっかけで日本を訪れた外国人の方に、ヴィーガン向けの外食を提案できたらと思っています。

そのためにもエンジニアとしてサイトのUI/UXデザインをよりよく改善していきます。

–今日はありがとうございました。

ありがとうございました。

フルリモート起業家が語るテレワークの欠陥とソリューション

2019年11月28日

元サムライが地元熊野でゲストハウスをはじめたワケ

2019年11月15日