70ヵ国の旅で感じた大切なこと

丸山都(まるやま・みやこ)。和歌山県那智勝浦町出身。中高は地元の学校に通い、大学からは兵庫県の大学で教育を学ぶ。大学卒業後は小学校で教師をするが、趣味や好きなことができる自由な時間を求めて退職。そこから3年間、バックパッカーとして世界中を周る旅に出る。帰国後、地元の友人である後呂さんと再開し、意気投合し共にゲストハウスWhyKumanoを立ち上げる。

–もともと小学校の先生をしていたんですね。辞めたきっかけは何だったんですか。

当時は忙しくて自分の時間がなかなか取れなくなり、自分らしく生活することができなくなりました。そうすると、大好きだった子どもとの関わりも上手くいかないことがあり、それは良くないなと思って一度辞めることにしました。

何より、忙しい忙しいと文句を言いながら働いている自分が嫌いでした。

–確かに自分の時間が無くなっていくと変わりますよね。その後はどうされましたか。

ずっと海外に住みたいと思っていたので、辞めた後はとりあえず台湾に行きました。そしてなんだかんだそこから3年間バックパッカーをしていました。

–いきなり3年間も海外に行ったんですか。

いきなりではなくて学生の頃から海外に行っていたので、大丈夫だろうと思って飛び立ちました。

でも最初は1年ぐらいで戻ってきてもう一度教師をしようと思っていましたが、海外を周っていると更に日本の教育や働き方が変だと思ってやってられないなと思いました。

それで結局3年間バックパッカーをしていました(笑)

–そうなんですね。色々と聞きたいことがあるのですが、まず今までで何か国行きましたか。

学生時代に行った国も合わせると70ヵ国ぐらいだと思います。長いところで3週間ぐらい滞在して、短いところだと数日で次の国に行っていました。

–多いですね。一番良かった国はどこですか。

何に関してかにもよりますが、例えば自然環境だとアイスランドですね。アイスランドは海も山も川も湖も全部がすごかったです。車だと1週間ほどで全域一周できるのでお勧めです。

そしてタイも良かったです。日本とは違う環境で安いし、危ないけどどこかには日本人がいて安全だし、バックパッカーぽい旅を誰でも全部楽しめる場所でした。

あとは、定住とかだとオーストラリアが良いと思います。1年ちょっと住んでいたこともありますが移民を受け入れる文化があるのですごくよかったです。働くうえでも、お給料もいいし休みも取れるし最高でした。

–ワーホリをされていたんですね。どんな仕事をしていましたか。

いろいろとしました。もちろんファームでも働きました。私の場合、オーストラリアでワーホリをするためのセカンドビザを取得するために、最初に3ヶ月間はファーム(一次産業)で働きました。

その後はなんでも屋さんとしてローカルジョブをしていました。

–なんでも屋さんってなんですか。

文字通りなんでもしました(笑)色々な人に「今仕事を探しているのでいつでもなんでも言ってね」って伝えると「じゃうちの庭作ってよ」といって、その流れで庭を作ったりとかしました。

–そんな面白い働き方をしていたんですね。

どんどん自分を売っていかないとオーストラリアで働くことは難しいので、自分のレジュメ(履歴書)はいつも持ち歩いておいて街中の人とか仲良くなった人に配っていました。

–すごい!(笑)家はどうしていましたか。

家はたまたま出会ったおじいちゃんに住ませてもらっていました。またそれが超豪邸で、車も買い与えてくれました!しかもキャンピングカーベンツ(笑)

–ベンツはビックリですね(笑)どこで出会ったんですか。

たまたまイースターの日に教会に行ったら出会って、最近妻を亡くしたということもあり、住ませてくれることになりました。

–何歳ぐらいの人ですか。

当時で87歳でした。でもまだ仕事もしていてとても元気でした。孫の歳が近くて、孫に会ったときに「誰、急にアジア人」ってびっくりしていました。

でもまぁ嬉しいって感じでしたけど。今年90歳を迎えたので、お祝いをしにまたオーストラリアに行きます。

–すごい経験ですね!それだけ長い間行って、日本に帰ってきたきっかけは何だったんですか。

そうですね。本心を言うと単純に飽きてしまいました。飽き性なので(笑)

–飽きた…(笑)

行ったことがない国に行くとワクワクしてアドレナリンが出ていました。特に初めてアフリカ大陸に入る時とか南米に行く時とかは本当にドキドキでした。

でも終盤はその刺激に慣れてしまって、あんまりワクワクしませんでした。

–なるほど。世界中を回って得た教訓などはありますか。

難しいですね。そんな強い信念を持って生きてないので(笑)でも思うことは今その瞬間、自分の好きなことをして楽しかったらいいと思います。ただそれだけです。あとは自分らしく生きるってことです。

–それで今WhyKumanoをしているんですね。

そうですね。その結果たどり着いたのが自分の地元で、一番居たい場所がここでした。旅中に一度帰ってきて後呂ちゃん(WhyKumanoのオーナー)に再会して「ゲストハウスしたい」という話で盛り上がりました。

そして、まず初めに自分の実家を使って『MARU HOUSE』を立ち上げました。そこがゲストハウス事業の始まりです。

–そうだったんですね。今の生活は楽しいですか。

はい、やっぱり日本はいいですね。ご飯がおいしいです。

–ご飯なんですね(笑)

そうですね(笑)

“生活”とか“働き方”は海外と比べてまだちょっと遅れているかなと思います。生活に関しては、マイノリティの人がとても生きにくい社会だと思います。

働き方に関しては、家族の時間とか自分の趣味の時間とかいろいろなものを犠牲にして、給料が低いとか休みが少ない、疲れたと周りの大人たちは文句ばっかり言っている感じがします。

皆がもうちょっと広い視野を持っていたらもっと生きやすくなるのになと。とはいえ、みんな優しくていい人なんですけどね(笑)

–確かにそうですね。今後はどうしていきたいですか。

今はやりたいことを色々と模索しています。短期的なことでいうと、まずはWhyKumanoを軌道に乗せたいですね。あとは、今まで通り大好きな土地、熊野の自然、食、人を最大限に楽しんで自分らしく生活していきたいです。

–今日はどうもありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。

 

 

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